第15話“hands”

  おやすみ……。


  何が起こったのか、初めは解らなかった。
  とにかく眠かった。
  吸い込まれるように眠った。
  と、思っていた。



  昏い。
  自分の身体さえ見えない。
  でも。

  向こうに見えるあれは何だろう。


「さようなら、私はもう行くわ。ここは楽しかったけど……。」
  女の声が耳元で聞こえ、一瞬シルエットが見えて、消えた。

  歩いていく。自分の足が動いているのか、それ以前にこれが自分の身体なのか、それすら解らなかった。
  とにかく、光の射す方へ。

「ようこそ……」
  またも突然耳元(そこが本当に耳なのかどうかも怪しいが)で話し掛けられた。老婆の声にも、少女の声にも聞こえる。
「迷い子が、また一人……。」
「誰だ?」
  口がどこにあるのか、自分の声がどこから出ているのか、解らなかった。
「妾は、摩沙羅……。天野、摩沙羅。貴方は、自分の名前が、解りますか。」
「俺は……、」
  名前を言おうとした。思い出せない。
「此処では、名前が、総てを、支配します。貴方は、自分の名前が、解りますか。」
「ここはどこだ」
  やはり自分の声が解らない。
「名乗りなさい」
  毅然とした声で摩沙羅は言った。
「急いでいる」
「嘘ね。」
「早く、戻らないと」
「其処には何も在りません」
「うるさい」
「貴方は自分の名前が解りますか」
「……」
「貴方に名前を与えましょう。貴方の名前は“hands”。またお会いしましょう……†」
  摩沙羅が消えた。
  そして五感が蘇った。

  世界は相変わらず昏い。しかし輪郭は見えるようになった。
  足元から重力が感じられるようになった。
「俺の名前……」
  ちゃんと自分で発声している。

  光の射す方へ。

  歩きながら、自分の身体を触ってみる。
  コネクタがなくなっている。
  なんとなく解り始めてきた。
  ここは一種のサイバーコミュニティだ。
  あの患者の「心」の中に巣食っていた物なのか、それともまったく別の何かなのか、それは解らない。
「あの患者?」
  それが誰だったのか思い出せない。

  とにかく、今は、光の射す方へ。

「やぁ。」
  耳元で男の声が聞こえる。何かたくさんの布を巻きつけたようなシルエットが“hands”の隣に見えた。
「君も、患者かい?」
「患者?」
「ここに来たってことはそうなんだろ?」
「何の話だ?」
「今のここは危険だよ。“SLEEPMYDEAR”の効果が切れたらもう来ない方がいいかもね。」
  “SLEEPMYDEAR”?
「美夕って殺人鬼がうろうろしてる。あいつは……[プログラム]かもしれない……」
「[プログラム]?」
「まあそのうち解るさ。俺は“GR2”。また会うかもね。」
  “GR2”が消えた。


  また、光の射す方へ歩き出す。


「やっと会えた。」
  女の声が聞こえた。