第9話“GTS”

  もう迷わない。
 

  ごっつ(神田悟史:かんださとし)が夜の歓楽街に訪れたのは、まだ日が暮れたか暮れないかの、空の端のヤバい感じのオレンジ色がまだ残っている時間だった。
  この時間が一番血が騒ぐ。
  ごっつはひとり口元に笑みを浮かべた。

  兄の依頼で、ある人物を探し出す事になっていた。CBK、というコードネームで呼ばれるその男は、兄が今侵入を試みているはずの「ファーム」に過去唯一人侵入に成功したハッカーだと言う事だ。そして、その焼き切られた脳内チップのなかには、現在も好評稼働中の「サーバ」のリストが閉じ込められているらしい。外部からの侵入は絶対に出来ない究極のスタンドアローン状態のCBKの頭脳には、「政府」の最重要機密が閉じ込められていて、CBK自身ですらそれを知らないらしい。

  ごっつ自身は、兄のけむりや姉の九月と違ってハッカーと言うよりは情報屋だと思っている。検索が得意で、「何処に何があるか」を突き止めるのが得意なのだ。実際はごっつの「ソフト」である“GTS”にけむりや九月が感染し、二人がウィルス性の“GTS”を各所にばらまき、ごっつにはその場所が特定できるだけなのだが。

  不思議とCBKの場所はぼんやりと解る。
  ごっつはそのいい加減なイメージを追いかけて歓楽街をさまよう。

  在宅勤務が常識になった今でも、何故かこういった喧燥だけは消えない。むしろ他人と接する機会が減少したからこそ、こういった街の需要は増えたのかもしれない。
  誰もが孤独に耐え切れず、今日もドアをくぐって些細な非日常の中へと歩いていく。

  ごっつはかなり以前から兄や姉に黙って歓楽街には良く訪れていた。歓楽街のマップをダウンロードしなくても、“GTS”に頼らなくても何処に行けば「目的の場所」に辿り着けるかが解る。

  一瞬、“GTS”の反応が強くなった。

  ここ……だ。

  ごっつは「99%」と言う看板のあるドアをくぐった。

  少しきょろきょろと見回してみる。
「あ、いたいた」
  兄にもらった画像の男がボックスシートで寝ている。
「このを人探してたんですよ。」

  再び、非常に強い“GTS”の反応があった。
  この感覚には記憶があった。
  でも。
  まさか。

「ね、誰?」
  ボックスでCBKに膝枕しながら頭を撫でていたくわえ煙草の女が言った。
「こんにちわ! ごっつで〜す」
「イヤ、アンタじゃなくて。」

  “GTS”の反応が増している。

「この人ですか?  彼は僕の知人です。酔っ払って行方不明になってたのを探しに来たんですよ。」
「あら、飲んでいかないの?」
  髭面のマスター(らしい)男が言った。
「んー、前の店に戻らなきゃならないんで」

  ひ……いて。

  消えてくれ。

「駄目よ。まだ当分起きないわよ?」
  CBKに膝枕をしている女の隣に座っていた別の女が言った。
「イヤ担いで行くし」
「だーめ。」
  膝枕の女が言った。
「……る…よ?」

  ひきさいて。

  煩い。

「何にする?」
「あ、はいビールを。」
  つい反射的に答えていた。染み付いた習慣は消えない。ごっつはちょっとだけ苦笑いした。
  まあ急ぐ仕事でも

  悟史……

  本名で呼ぶなよ。恥ずかしいから。

  “GTS”がもういないはずの人間を感知している。いかこは、ごっつの恋人だった女はとっくに別れ、しかも数日前に死んだはずだった。“GTS”によって別れてからもずっと存在は感知できていたが、それも途絶えていた。今更。

  ごっつの前にジョッキが置かれた。
「まあ楽しんでいってねー。」
  マスターの物腰やカウンターの客達の様子からしてここはゲイバーなのだろう。女性客がいる事から考えてミックスという奴かもしれない。

  乾杯の後、二人の女はそれぞれチカコ、スバルと名乗った。

  “GTS”はいかこを感知し続けたが、酒を飲むと少しだけ和らいだような気がした。

  1時間もすると3人はすっかり打ち解けた。スバルはしばらく前に別れた男の事をまだ引きずっているらしい。露骨な言い方はしなかったが、それが却って寂しげだった。

  CBKが起きる気配はない。相変わらず焼酎のボトルを抱き締めたまま身動きもしない。チカコはとっくに膝枕も頭を撫でるのも辞めている。身体の具合が悪いのか、額には脂汗がじっとりと滲んでいた。意識が戻る前に連れ出したかったが、この状況では難しそうだった。意識が戻りかけて朦朧とした所で連れ出すしかない。

「ねー、次はナニー?  またビールでいい?」
  空になったごっつのグラスを振りながらスバルが訊いた。この時点でごっつは既に5回ジョッキを空にしている。
「もう飲めないよスバルさん!」
「嘘。全然平気そうじゃん。」
  ごっつは顔に出ないタチなのだ。数年間の歓楽街通いでで鍛えられて、実際酒は強い方だったが。
「って言うかアンタが飲み過ぎだってば、スバル」
  チカコが言う。
「そうそう」
「いいじゃんいいじゃん。飲も」
「まあいいんだけどね。アンタ強いから」
  チカコが呆れたように、でも少し嬉しそうに呟いて煙草の煙を吐き出した。
「ねーねーマスター、端末借りるねー」
「今度は何?」
「ちょっと忘れてたのー。仕事のメール」
  スバルの目つきが変わっていた。

  嫌な予感がした。

「あの娘があんな楽しそうに飲んでるのって久しぶりに見た。」
「そうなんですか?」
「んー、ちょっと辛い事があってね……。」
「あれ?」
  スバルの様子がおかしい。コネクタを端末に繋いだっきり固まったように動かない。
  似た症状を見た事がある。
  兄が、ダウンロードしている時に似ている。
  “HomeSick”デコード済みファイルのダウンロード中の兄に酷似していた。
  “HomeSick”デコードされたファイルはサイバースペースを一つのサーバに定着せずに彷徨する。ファイル隠し専門の「ソフト」のはずだ。“GTS”で検索して“HomeSick”ファイルを探し出し、兄がダウンロードする。
  今のスバルはその時の兄にそっくりだった。

  嫌な予感がした。

  もうすぐ……

  いかこの声が強くなってきた。

「駄目だ!スバルさん!」
  ごっつは端末に駆け寄り、モニターを調べた。
  “heaven”というファイルだった。
  “heaven”?
  いかこの個人用ファイルだ。
  ダウンロードは丁度99%が終わった所だった。