第1話 “YKM”

 デスクに忍び寄る妖しい影。
 八雲(土方八雲:ひじかたやくも)の上司の徒然(津本基子:つもともとこ)だった。
 また面倒な仕事を運んできたに違いない。面屋の八雲にとっては彼女の接近は9:1の割合で災厄でしかない。残りの一割は彼女は美人だから。徒然にネットサーフィン中のパソコンの画面が見えないようにエクセルを一番前に出す。彼が会社のLANを私物化しているのは徒然には周知の事実だが、さすがに上司の目の前で堂々とCHAT出来る訳も無い。
「八雲君。ウィルスが検出されたわ。退治しておいてね。」
 案の定、彼女は面倒な仕事を持ち込んできたのだった。
「嫌です。面倒ですから。」
 この台詞で仕事が減った試しが無い。
「相変わらず面屋は大繁盛なのね。頼んだわよ。」
 相手にされない。いつもの事だった。
「私の仕事は経理屋で、SEじゃないんですよ。」
「だってほかに出来る人がいないもの。」
「あなただってウィルスぐらい何とか出来るでしょう。」
「YKMタイプのウィルスだもの。無理。」
 時々、徒然はぞっとするような事を言う。八雲が学生時代になかば冗談で作り上げたファイアウォール素通りソフトの名称が通称YKMタイプと呼ばれているのを知っているのだろうか。八雲が造ったYKMウィルス自体は既にCBKワクチンと呼ばれる物がサーバソフトにプレインストールされているので無効になっている。ちなみにこのタイプの特徴はサーバに寄生してアクセスしたコンピューターとそれに繋がっている人間の脳内チップに感染し、感染した人間かコンピューターが別のサーバにアクセスするとそのサーバにも寄生する。無限増殖的に感染していくが、カウンタープログラムやメール爆弾などで一旦サーバを「殺して」しまうと簡単に消去できる。ただし、感染者がアクセスすればまた元通 りなので、ワクチンをインストールするまでは結局いたちごっこなのだ。
 しばらくYKMタイプのウィルスというのは出ていなかったから、おそらく新種だろう。
 ワクチンは一から作り直すしかないらしい……。
 はぁ。
 目の前に積もりに積もった未処理の書類の山を見ながら八雲は溜息を吐いた。
「この書類、他にまわせます? ウィルスの方は私がやりますから。」
「駄目よ。他に出来る人が居ないの。書類も、ウィルスも。頼んだわよ」
 八雲はがっくりと肩を落した。CHATで「落ちる」、と挨拶をし、取り敢えず自分のぱそが感染していないかどうかを調べに掛かった。
 ウィルスよりもこの書類の山が問題だよ……。

 チェックの結果、八雲のぱそも八雲自身も感染はしていなかったらしい。唯、社員の30%、すなわち多少に拘わらずコンピュータをいじっている人間の大半が既に感染しているらしい。八雲が感染していないのは、運が良かったから、というよりもYKMウィルスに対して免疫があったから、らしい。
 取り敢えず一番簡単なメール爆弾を使ってサーバからウィルスを追い出し、その隙にぱそ自体をネットから切断した。免疫があるからといって油断していると多分駄目だと思う。なぜなら奴は最新式だから。

 一応、開発者の意地としてこのウィルスだけは消そうと思った。