遠い空

地平線の無いこの街では空がひどく狭く、息苦しい
沈む太陽を見たのはいつが最後だったんだろう
群青色に染まって闇に溶けていく、オレンジ色の雲
あの日草原の向こうに見えた空はあんなに高かったのに
あの空は何処へ消えてしまったんだろう。


 何故そんなに生き急ぐ?

「解らないよ。」
「え?」
 助手席で居眠りしていた妹の九月が驚いたような顔をして運転席のけむりを見た。
「何か言った?」
「何でもないよ。」
「ん……」
 眠そうな声で呟くと九月はまた瞼を閉じた。

 時代はここ数年で驚くほど進んだ。まず、脳のデータをデジタルに変換するチップが開発された。次に、水道のようにパイプの中を流れる元素を再構成してデータから簡単に物質が造れるようになった。不要になった物はすべて元素に還元する。
 自分の脳からダイレクトにデータベースにアクセスして欲しい物を手に入れる。いくらでも。代金は全てオンラインになった。アナログマネーはとっくに廃止になっていた。
 ただし、建前上、構造の複雑すぎる生物や食料品などはこのシステム――通称、転送システム――では作り出せないようになっている。
 農業・漁業・畜産などのみが生き残る結果となり、工場などが軒並みなくなり、空気は綺麗になり、空は青さを取り戻し、海は青さを取り戻し、郊外は緑に包まれた。皮肉にも、人間自身がデジタル化する事で環境破壊はあっさりと終了してしまった。

「もうすぐだぞ、起きろ」
「着いたら……」
 九月が眠いのもしょうがない。もうすぐ夜が開ける時間なのだから。
「解った。着いたら起こすよ。ちゃんと起きろよ。」
「うん……」

 二人が向かっているのは、「ファーム」と呼ばれている政府の畜産部門の工場だった。工場を潰して環境を整備し、膨大な土地を生み出した事で牧場には困らない。蒸し暑いので幌を上げてオープンにしてある車内には嫌でも牧草と堆肥と草食動物の匂いが漂ってくる。

クソっ。
 けむりは慣れない臭いに辟易しながら煙草に火をつけた。
 「ファーム」に限らず、政府の管理している場所には必ず不可侵ゾーン――サイバースペースに接続していない、ファイアウォールに包まれた部分が存在する。不用意にアクセスしようとすれば進入者の脳内のデータが逆にめちゃくちゃにされてしまう。
 もっとも安全で確実な方法は、アナログで直接内部に入り込んでしまう事だ。外側のセキュリティが頑丈なほど中の守りは弱い。ネットテロリストとしてのけむりの経験上、これは真理だった。

 「ファーム」にまつわる「噂」は、随分前から囁かれてはいた。初めは何故そんなに堅牢なガードが必要なのか、という事からの野次馬的な推測に過ぎなかったのが、徐々に「噂」は膨らみ、やがてハッキングを試みる物が現れた。そして誰もが失敗し、失脚していった。

 「ファーム」に、着いた。

「起きろ。着いたぞ」
「うん……」
 九月はまだ眠そうだった。"SLEEPMYDEAR"が効き過ぎたのだろうか。